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国史跡「多田銀銅山遺跡」

「多田銀銅山遺跡」が国史跡に指定されました!

平成27年10月7日の官報の告示により猪名川町にある「多田銀銅山遺跡」が正式に国史跡に指定されました。
猪名川町の文化財としては、初の国史跡となりました。
鉱山遺跡で国史跡となるのは、兵庫県下では初、全国では大小含めて千カ所以上ある鉱山の中で8番目の指定となります。

 

「多田銀銅山遺跡」の評価

江戸から明治に至るまでの鉱山の在り方や産業技術史を考える上で重要な遺跡であるとその価値を認められました。

「多田銀銅山遺跡」の概要

名称

)多田銀銅山遺跡(ただぎんどうざんいせき)

()

()面積指定面積

191,442.62平方メートル

 

多田銀銅山の特徴(文化庁 資料より抜粋)

○大阪平野中心部から北約20キロメートル、10数キロメートル四方の範囲に所在する銀銅鉱石の採掘から製錬を行った遺跡です。
○平安時代末期に採掘が開始され、昭和48年(1973)の閉山までの間、採掘の場所・規模や主体者を変えながらも、ほぼ継続的に銀・銅の採掘が行われました。寛文元年(1661)には幕府の直山となり、銀山地区に代官所と4つの番所が置かれ、鉱山の管理が行われました。寛文4年(1664)には銀3,600貫目、銅75万斤を産出し、「銀山三千軒」といわれるほどの賑わいを見せました。
○大坂などの都市に近接する鉱山として最先端の製錬技術が採用され、その技術は生野銀山にも伝えられました。
○豊富に残されている史料や複数の絵図からは、代官所や番所などの諸施設の構成や鉱石の採掘を行った間歩の分布状況だけではなく、銀、銅の採掘から製錬に至るまでの技術が判明しています。
○代官所などの施設の遺構、間歩などの採掘遺構、焼窯などの製錬関係の遺構も良好な状態で遺存しています。
○江戸から明治時代に至るまでの鉱山の在り方や産業技術史を考える上でも重要です。最盛期における生産の中心であり、かつ鉱山全体の管理を行っていた銀山地区のうち、条件の整った範囲が史跡に指定されました。

 

 

 

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「多田銀銅山遺跡」国史跡指定の答申について

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