更新日:2014年5月1日
山々が冬の支度を始め、紅と黄色、橙色が深い緑との美しい協奏曲を奏でているかのようです。
母なる川「猪名川」とともに町域の自然を形作る山々は人々に豊かな山の恵みを与え続けてきました。
奈良時代には、木津(楊津)を北部の木材の集積地とし、また三草山周辺からも猪名川下流へ木材を送り、猪名部という木工集団によって加工された材木や船などが朝廷に収められました。
江戸時代には、幕府直轄の御用林「御林」が鎌倉にあり、材木が二条城などに使用されました。
天保14(1843)年の鎌倉村絵図や西畑村絵図には「キハタ」「木畑」と書かれたかなりの面積の畑があります。これは樹木の苗木畑と思われ、森林の保全・管理が計画的に行われていたことが分かります。前年には鎌倉村が「御林改入用」を一村ではまかなえないとして郡中割変更を願い出ており、管理には多額の費用が掛けられていたようです。 (写真:鎌倉村絵図)
《読み方》 木畑=きばた、紅=くれない、橙色=だいだいいろ、協奏曲=きょうそうきょく、奏でて=かなでて、楊津=やないづ、三草山=みくさやま、猪名部=いなべ、木工=もっこう、朝廷=ちょうてい、幕府直轄=ばくふ ちょっかつ、御用林=ごようりん、御林=おはやし、天保=てんぽう、鎌倉村絵図=かまくらむら えず、西畑村=にしはたむら、キハタ=きばた、苗木畑=なえきばたけ、御林改入用=おはやしあらためいりよう、一村=いっそん、郡中割=ぐんちゅうわり、