奈良時代後期、広根出身といわれる母(乳母)をもつ皇子がいました。
皇太子時代の光仁天皇の子で、広根朝臣諸勝(ひろねのあそんもろかつ)といいます。広根朝臣一族の詳細は不明ですが、天皇家と強い結びつきのある一族が現在の銀山を含む広根一帯に暮らしていたようです。また、近くの肝川では青銅鏡が出土していますが、関連はわかっていません。
室町時代になり、浄土真宗本願寺八世蓮如上人が広根にある最徳寺(さいとくじ)に立ち寄ったという伝承もあり、寺宝として上人使用の杖と笠が残されています。
最徳寺の向かいにある、江戸時代に銀山経営に関わり、酒造家でもあった家には今も酒蔵が残され、美術館やコンサートなどの場として活用され人々の憩いの場となっています。
近代には、現在の広根交差点の付近一帯が中谷村の中心として栄え、広根銀行や郵便局、登記所、警察署(本署)、北摂自動車の本社とバスの終点(のち延伸)などがありました。(写真:最徳寺)