更新日:2014年5月1日
楊津小学校の横を、町道木津林田線が通っています。木津と林田を結ぶ坂を津坂といい、険しい山があって昔から人々が苦労してきました。
明治14年、林田地内にトンネルを造ることになり、柏原の人達が請け負ったのですが、固い岩盤、所々にある軟岩の崩壊で、大変な難工事となり、工費の不足は柏原の人達が私財を投げ打って完成させ、明治の隠れた偉業といわれました。別称「くろまんぷ」の元となった岩肌は、現在コンクリートで固められ見えませんが、周囲の様子から当時の苦労をしのぶことができます。
また、県道川西篠山線を北進し、杤原バス停を過ぎると、両側に切り立った擁壁があります。その右側のこんもりした山が「あかまんぷ」の跡です。レンガ作りのため、あかまんぷと呼ばれた杤原トンネルは、明治42年12月に完成しました。
摂津と丹波を結んだこの道は、明治40年、篠山に設置が決定した歩兵第70連隊と、伊丹の大阪第4師団とを結ぶ重要な軍用道路にもなっていました。(写真:津坂トンネル)