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現在の場所

第50話 新緑の杉生を行く

更新日:2014年5月1日

柔らかな緑が山々を包む頃となりました。杉生下のバス停から西へ行くと、茶の木観音という小堂があります。ここが、明治初期まで能登にあった曹洞宗大本山総持寺の第五世住持を務めた通幻禅師止錫の大悲閣です。応安2(1369)年住持職を譲り、この年か翌年に杉生に来られ、数年後、永沢寺(三田市)を開いたのです。大悲閣の由来は不明ですが、大悲は観音をさし、古くから十一面観音が祭られていたようです。大悲閣から北へ行くと、真言宗の大野山日光寺地蔵院があります。
「大野山日光寺開山実記」によれば、神亀3(726)年、聖武天皇の命で大野山に登った行基の前に、三寸七分の地蔵尊像が現れたことにより一寺を建て、また天長元(824)年淳和天皇に大野山日光寺の勅号を賜り、本堂他28坊を誇ったが、のち兵火によって麓の現在地に移ったとあります。
いずれも、今もなお地元の人々の深い信仰を集めています。(写真:大野山日光寺地蔵院)

《読み方》
茶の木観音=ちゃのきかんのん、小堂=しょうどう、曹洞宗大本山総持寺=そうとうしゅうだいほんざんそうじじ、第五世=だいごせい、住持=じゅうじ、通幻禅師=つうげん ぜんじ、止錫=ししゃく(お坊さんが休憩や逗留をすること)、大悲閣=だいひかく、応安=おうあん、永沢寺=ようたくじ(寺名はようたくじ、地名は現在えいたくじと読みます。)、大野山日光寺地蔵院=おおやさんにっこうじじぞういん、大野山日光寺開山実記=おおやさんにっこうじかいざんじっき、神亀=じんき、聖武天皇=しょうむてんのう、行基=ぎょうき、三寸七分(さんずんななぶ。注:約10センチメートル余り)地蔵尊像=じぞうそんぞう、一寺=いちじ、天長=てんちょう、勅号=ちょくごう、賜り=たまわり、本堂他28坊=ほんどうほか28ぼう、兵火=へいか、麓=ふもと、
 

(写真)大野山日光寺地蔵院

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