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第118話 「慶応四年、銀山役所の正月」

 広根の民家に、慶応4(1868)年正月に、最後の銀山役人秋山良之助が書き留めた控帳が残されています。その内容は正月3日に始まった戦い(戊辰戦争)のこと、銀山役人から高槻役所へ出された嘆願書の控、参与(新政府)からの触書の写などです。
 冒頭には「慶応四戊辰年今年正月三日より奉恐入候 御戦事与相成、 衆庶方向を失ひ時事紛更之際、彼是ニ於而無辜之災厄ニ罹り候人々も少なからさる由、追々伝聞候事」とあり、人々が右往左往する有様が銀山にも伝えられています。
 続けて、会津・桑名両藩が伏見・鳥羽において官軍へ敵対したから徳川慶喜公が朝敵の汚名を着せられたとし、いとこの革嶋兵庫が征討将軍仁和寺宮の奉行に列せられて従軍したこと、幕府の臣下はすべて捕縛されて殺されるという風説などが書かれています。
 また、12日、13日頃には三田九鬼家への征伐隊が銀山を通るとの噂には、恐れおののき覚悟しつつ評議したともあります。14日には高槻役所へ飛脚を立て銀山役人連名で嘆願書を出しています。「以書付奉歎願候」で始まる一文は多田銀銅山の「神亀・天平のむかし」に始まる来歴と現状を記し、御一新の後もこのまま召し置いて頂ければ「砕身之御奉公可仕」もし噂の通り幕臣が「善悪之無差別」召し捕られ切り捨てられるなら、自分達3人に自殺を命じて、老人・妻子、敷回り2人を助命願いたいと、高槻役所から新政府へ伝えてほしいと、「幾重ニも奉歎願候」ひたすら「奉懇願候」というものです。
 慶応4(明治元)年の正月は、郡司、秋山、藤井の銀山役人達が決死の覚悟で家族や下役を守ろうとした正月でした。その後、新政府会計事務役所から「当分の間」これまで通りの勤務を命じられ、銀山役人達は翌2月から、多田銀銅山再興を願って諸方面への運動を開始します。
 銀山役所にとって、また銀山で生まれ育った秋山良之助にとって怒涛の一年が始まろうとしていました。

《読み方、注釈》
戊辰 =ぼしん、嘆願書 =たんがんしょ、触書 =ふれがき、奉恐入候 =おそれいりたてまつりそうろう、御戦事与相成 =おんいくさのこととあいなり、衆庶 =しゅうしょ、事紛更之 =じじふんこうの、彼是 =かれこれ、於而無辜之 =おいてむこの、罹り候 =かかりそうろう、由 =よし、追々伝聞候事 =おいおいつたえききそうろうこと 、右往左往=うおうさおう、有様=ありさま、慶喜=よしのぶ、朝敵=ちょうてき、革嶋兵庫=かわしまひょうご、征討将軍仁和寺宮=せいとうしょうぐんにんなじのみや、奉行=ぶぎょう、捕縛=ほばく、三田九鬼家=さんだくきけ、征伐=せいばつ、飛脚=ひきゃく、以書付奉歎願候=かきつけをもってたんがんたてまつりそうろう、神亀=じんき、天平=てんぴょう、御一新=ごいっしん、砕身之御奉公可仕=さいしんのごほうこうつかまつるべく、無差別=さべつなく、召し捕られ=めしとられ、敷回り=しきまわり、幾重=いくえ、奉歎願候=たんがんたてまつりそうろう、奉懇願候=こんがんたてまつりそうろう、郡司=ぐんじ、怒涛=どとう

(写真:秋山良之助の控帳 )

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