明治6(1873)年8月付けの『元鉱山御役所御払下ケ御願』という文書の控が銀山地区に残されています。銀山町戸長(町村の代表)から兵庫県令(今の県知事)に出されたもので「明治2年3月の役所廃止以後、徐々に建物が壊れてきており、このままでは維持できないので払い下げください。」という内容です。
建物は5か所あり「元鉱山御役所 萱葺20坪」「中間(使用人)部屋 瓦葺3坪」「納屋蔵 瓦葺60坪余」「門 瓦葺」「鋪廻り者(鉱山を見回る役の人)長家萱葺27坪(ただしほぼ倒壊しており取り払いが必要)」、敷地は「元御役所敷地220坪」「長家敷地120坪」の2か所です。
現在、“銀山字長家前”には「多田銀銅山悠久の館」が建てられており、地元の民家にはこの役所の門が移設されたとの伝承をもつ門があります。
また、この文書には絵図が添付されており、発掘調査の結果と一致しています。悠久の館には、この絵図を元に中学生達が心を込めて作った復元レプリカが展示されています。
この願書ののち、同年12月には落札され、跡地にかかる租税は翌7年から落札者によって納付されることとなりました。この落札価格は、跡地2か所分が10円10銭、建物5か所分が35円40銭でした。
ところが翌7年3月には、この落札はどのような事情からか取りやめになったようです。 その後、別の人が落札したものと推定されます。
《読み方、注釈》
御払下ケ御願=おはらいさげおねがい、戸長=こちょう、県令=けんれい、萱葺=かやぶき、中間=ちゅうげん、瓦葺=かわらぶき、納屋蔵=なやぐら、鋪廻り=しきまわり、長屋=ながや、 悠久の館=ゆうきゅうのやかた、願書=ねがいがき
(写真:「元鉱山御役所御払下ケ御願」より)