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第66話 山争いと5万日の預かり

更新日:2014年5月1日
 

山争い(山論)は室町・鎌倉時代から見られますが、豊臣秀吉による太閤検地以降村境が確立され、林野の境界をめぐる争いも江戸時代から特に多くなります。
現在はパークタウンとなっている塩瀬山も度々山論の舞台となりました。延宝7(1679)年2月の「塩瀬山証文」では、塩瀬山は古来上野・広根・柏梨田三ケ村立会山でしたがこの度の検地で山親一ケ村を定めるよう御奉行様の仰せ付けがあり、広根村を山親に定めるとあります。
安政5(1858)年4月4日付の「取替約定」では広根村と南田原村が争う場(論所)を上阿古谷村庄屋隼之助が五万日預かり、南田原村が草刈場とする事が決まりました。この論所はのち明治25(1892)年に南田原が買い取り、現在は文化体育館などが建っています。
百数十年もの長期の預かりで争いを収める手法は、同年4月27日にも長谷村(宝塚)と広根村の塩瀬山山論でも使われ、隼之助の七万日預かりで決着がつきました。(写真:山論絵図(享保6年)」)

《読み方、注》
山争い=やまあらそい、山論=さんろん、五万日=ごまんにち、太閤検地=たいこうけんち、村境=むらざかい、塩瀬山=しおぜやま、度々=たびたび、延宝=えんぽう、三ヶ村立会山=さんかそんたちあいやま、山親=やまおや、仰せ付け=おおせつけ、安政=あんせい、取替約定=とりかわしやくじょう、論所=ろんじょ、隼之助=はやとのすけ、草刈場=くさかりば、長谷=ながたに、塩瀬山山論=しおぜやまさんろん
 

(写真)山論絵図(享保6年)

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