更新日:2014年5月1日
江戸時代、地域コミュニティを支えた組織のひとつに「若者組(若連中、若中など)」がありました。
元服を終え、村の構成員となった“若イ者”は「若者組」に入り、祭礼の準備や運営、夜回り、火事や災害時の出動、村普請などの中心となり、「若者組」の村政への影響も大きなものでした。
「若者組」は、おおむね14歳から25歳位で構成され、長幼の序列、規律が厳しく、当時の青少年はその中で農業や生活の技術を習得、村の慣習や礼儀作法などを学んで一人前の村人となりました。
柏原には文政9(1826)年の「若連中定書」が残っています。規則を破る者は5日間から無期限の制裁が与えられました。
「若者組」は時に喧嘩などで暴走し、幕府から解散令が出る事も度々でしたが、近代には「青年団」として受け継がれ、町内でもその活躍が地域コミュニティを支えています。 (写真:若連中定書)