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第155話「静思館と冨田熊作」

猪名川町立静思館(旧冨田家住宅)は重厚な雰囲気をまといながら、一見したところ農家風でもあり親しみやすさを感じさせます。この建物を建てた冨田熊作氏とはどのような人物だったのでしょうか。(第19 話参照)

冨田家は慶長13(1608)年~ 18 年四国・宇和島城主であった冨田信高の子孫です。改易()(※)により一族は現猪名川町上野に居住することとなったのです。上野の冨田家は大庄屋()を務め、酒造業を営んでいましたが、熊作氏が明治5(1872)年に誕生した頃には、幕末の世情不安定な中、強盗団に襲われるなどして家業は衰退していました。

12 歳で池田合名会社(在神戸)に入社、同僚の就寝後独学で英語や会計学を身に付けました。25 歳でロンドン支店を任され、明治36(1903)年には世界的に古美術を商う山中商会のロンドン支店長となります。顧客は英王室や各地の美術館、東洋古美術収集家でした。大正11(1922)年職を辞し帰国、京都麩屋町で古美術を営みました。 

御家()の再興が悲願であった熊作氏は馬上のまま門を通れたという生家を故郷に再建するため、昭和6(1931)年設計に着手し、同7 年に着工、同10 年竣工したのです。同17(1942)年には京都の本邸を引き払い、昭和28(1953) 年上野で亡くなりました。努力を重ね、生涯恩人を忘れず、晩年には故郷の社寺の修復や公民館の寄付などをおこない、子息冨田健治氏を通じて近衛文麿にも再々助言を求められたといいます。

ヨーロッパにおけるニ大中国陶磁器コレクション、バウアーコレクションとデイビッド(コレクションは彼の選定によるものでした。

 

《注釈》
※領地などを没収されること

《読み方》
静思館=せいしかん、冨田熊作=とみたくまさく、改易=かいえき、大庄屋=だいしょうや、麩屋町=ふやちょう、御家=おいえ、近衛文麿=このえふみまろ、卿=きょう

▼冨田熊作氏

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