昭和12(1937)年に始まった日中戦争は、10年近くに及び、猪名川町域からも篠山連隊所属として多くの兵士が出征しました。
同12年、「防空法」施行によって、町域には上野の愛宕山上に防空監視哨が設置され、青年団等が1時間交代で物見櫓に詰め、上空の監視を終日行ったのです。
太平洋戦争末期、阪神間でも空襲が本格化し、町域では同20年7月、原に爆弾が落下して「昼夜の別なく空襲をうくること連日連夜」の状態となり、子ども達の通学は山あいに隠れてのものとなりました。
また日本軍の飛行機が墜落する事件も2回ありました。
一度目は6月1日9時頃、清水前谷の山に明石航空隊から飛来したらしい飛行機が落下し軍人1人が亡くなりました。清水公会堂で住民により弔われた記録があります。
また、現在の伏見台あたりでも戦闘機が墜落していますが、詳細は不明となっています。
《読み方》
愛宕山上 =あたごさんじょう、防空監視哨=ぼうくうかんししょう、物見櫓=ものみやぐら、清水=しみず、前谷=まえたに、飛来=ひらい、弔われた=とむらわれた