更新日:2014年5月1日
バス停「上野」から南へ行くと右手に素盞鳴神社、安養寺があります。素盞鳴神社は、神功皇后が戦の帰途この地で難を避けたことから筌野宮大神を祭ったのが始まりとの伝説があります。元和元(1615)年の大阪夏の陣で、ここ上野から広根、銀山も戦場となり、社殿が焼失、明治19年に現在地に再建するまで荒廃が続きました。鉄の狛犬は静思館を建てた冨田熊作氏の寄贈によるものです。境内には春日神社、多田権現社、稲荷社があります。
隣接する安養寺は浄土宗で、天文5(1536)年に、知恩院管長を隠退した灯誉上人が、約800年前からの観音堂を再興し寺とした由緒を持ちます。本尊は、珍しい逆手来迎印の阿弥陀如来立像で、鎌倉前期の作像ともいわれています。数ある寺宝には朝鮮伝来の貴重な大太鼓もあり、また知恩院ゆかりから、五代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の位牌もまつられています。(写真:素盞鳴神社の鉄の狛犬)
《読み方》
安養寺=あんようじ、素盞鳴神社=すさのおじんじゃ、神功皇后=じんぐうこうごう、筌野宮大神=うえののみやのおおかみ、狛犬=こまいぬ、多田権現社=ただごんげんしゃ、稲荷社=いなりしゃ、知恩院=ちおんいん、管長=かんちょう、隠退=いんたい、灯誉上人=とうよしょうにん、逆手来迎印=さかてらいごういん、阿弥陀如来立像=あみだにょらいりゅうぞう、作像=さくぞう、寺宝=じほう、朝鮮伝来=ちょうせんでんらい、徳川綱吉=とくがわつなよし、生母=せいぼ、桂昌院=けいしょういん、位牌=いはい