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現在の場所

第119話 「森のまち匠(たくみ)のまち」

 猪名川町の町域面積90.4平方キロメートルのうち、約8割が森林で占められています。この豊かな自然の中にあって、町域は古代から良質な木材の供給地でした。
 奈良時代以前から猪名川(為名川)流域には、渡来系の高度な木工技術をもった猪名部(為名部)と呼ばれる人々が住んでおり、その地域を流れる川としてイナ川という河川名が存在していたと考えられています。
 木工技術をもって大和王権に仕えた「能き匠者」の猪名部が、現猪名川町域に居住していたかは不明ですが、やがて木津、楊津と呼ばれる河の津(港)が登場し、良材を集積して猪名部へ提供したと思われます。
 室町時代になると、現在も「大工」という地名が残る槻並に「源三郎」という大工がいたことがわかる史料が現れます。
 猪名川町唯一の国指定重要文化財「戸隠神社」(肝川)の本殿に残された墨書には、大永4(1524)年の造営に参加した大工数名の中に「お〵いまこ七(大井孫七)」「つくなミの源三郎(槻並の源三郎)」という現町域の村名と人名が見えます。
 江戸時代には、鎌倉に幕府の直轄林「御林」が置かれ用材を供給しましたが、槻並には、杣・木挽に関する古文書が数点残っています。
 それらによると、上・下阿古谷、民田、万善の各村と、現能勢町域の稲地、平野、森上各村と槻並村で「槻並組」というグループを作っていたことや、京都中井家の配下だったことなどが分かります。
 また、享保7(1722)年には上阿古谷、万善、北田原村が大工高、杣高などの諸税免除について理由書を代官に提出しています。
 これによれば、大工高・杣高は宮中の作事方を勤めることによって、古来から免除されているとあります。
 猪名川町域は良質の木材の供給地というだけでなく、高度な技術をもった匠のまちでもあったといえるのではないでしょうか。
《読み方、注釈》
為名川=いながわ、渡来=とらい、猪名部=いなべ、為名部=いなべ、大和=やまと、能き=よき、匠者=たくみ、楊津=やないづ、槻並=つくなみ、墨書=ぼくしょ、大永=だいえい、直轄林=ちょっかつりん、御林=おはやし、杣=そま、木挽=こびき、享保=きょうほう、大工高=だいくだか、杣高=そまだか、作事方=さくじかた

(写真:内陣東片蓋柱裏面墨書(ないじんひがしかたふたばしらりめんぼくしょ ))

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