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第131話 「節分今昔」

 節分とは、立春・立夏・立秋・立冬の前日で“季節を分ける”日です。特に立春の前日を指すようになりました。
 今年の「節分」は2月3日(旧暦1月4日)。冬の土用が終わり4日は立春、暦の上では春になります。
 幕末の銀山役所の節分の様子が『日鑑』に書かれています。最後の銀山役人秋山良之助、数え47歳頃の日記です。元治2(1865)年、4月に慶応と改元されるこの年の節分を秋山家はどの様に過ごしたのでしょうか。
 1月8日、雨は降らず曇天。朝は具足に供えた餅を鏡開きし、同僚他へも分け届け、来訪者に善哉や酒を出し、日中は槻並の要ケ谷銅山に関わるトラブル処理をしています。
 日暮れとなって、麻裃と礼服を身につけ、豆を囃し言葉で唱え囃し、清め火で焚きつけた豆がらをもって焙烙で豆を煎り、囃すのも例年通りに行いました。
 恵方へ向かい豆をまき、神々に御神燈、餅、米、お神酒を供え祝詞を唱えて拝礼し、年齢豆を食べ、妻と2人の息子と、家族4人が無事新春を迎えたことを祝いました。
 その後、良之助は息子達と同僚の郡司氏と共に山神宮(金山彦神社)へ参詣し、妻も使用人おうたと共に参詣して、穏やかに節分行事は終わっています。
 猪名川町では、現在も立春を「神サン正月」、前日を「トシコシ」と言う風習が一部で残っています。
 全国的にみられる、柊(「鬼の目突き」ともいわれる)に鰯の頭を刺したものを家の出入口にさして魔除けとし、麦飯と塩鰯を食べる行事をされる家庭もあることでしょう。
 昔ながらの節目の行事で、季節の移りかわりを感じるのも良いものですね。

《読み方、注釈》
日鑑=にっかん(ひかがみ)、元治=げんじ、具足=ぐそく、善哉=ぜんざい、要ヶ谷=ようがたに、裃=かみしも、囃し=はやし、唱え=となえ、焚き=たき、焙烙=ほうろく、煎り=いり、恵方=えほう、御神燈=ごしんとう、餅=もち、お神酒=おみき、祝詞=のりと、年齢豆=としまめ、郡司=ぐんじ、柊=ひいらぎ、鰯=いわし

(写真:元治2年1月8日秋山良之助直筆の日記(日鑑) )

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