暦の上では秋ですが、まだまだ残暑が続きます。特に近年では日本の四季が感じにくくなっているような気がします。
さて、猪名川町きっての水辺の名勝「屏風岩」の近くに「鬼が門」と「烏帽子岩」があります。これは寛政10(1798)年に刊行された江戸時代のガイドブック『摂津名所図会』にも屏風岩とともに掲載されている珍しい岩です。先般、猪名川木喰会の有志の方々が周辺を整備されたので、大変見やすくなりました。
バス停「屏風岩」で降りて、槻並方面に向かい「宝地口橋」から槻並川沿いに西へ入ると山の中腹に巨大な石組「鬼が門」がそそり立つのが見えます。川の左手には、昭和62(1987)年の河川改修時に川の中央から河辺に移された「烏帽子岩」が堂々とした立派な姿を見せています。
「烏帽子」とは古代から成人男子がかぶったもので、武家の成人式にあたる元服では、烏帽子をかぶらせ成人名を与える仮親を「烏帽子親」と呼びます。
「鬼が門」は人為的に造られたものではなく、自然の力で偶然に出来たものと考えられます。昔の人は、人の力が及ばないものに対しては“鬼”のしわざと考えたのでしょう。秋の一日、屏風岩をはじめとする珍しい景色を楽しみ、水辺を散策されてはいかがでしょうか。
なお、豊臣秀吉の頃、天正期には近くで「烏帽子岩間歩(多田銀銅山の坑道の1つ)」の採掘が行われていたようです。
《読み方、注釈》
鬼が門=おにがかど、烏帽子岩=えぼしいわ、屏風岩=びょうぶいわ、寛政=かんせい、摂津名所図会=せっつめいしょずえ、槻並=つくなみ、宝地口橋=ほうじぐちばし、烏帽子親=えぼしおや、天正=てんしょう、 間歩=まぶ
(写真:「摂津名所図会」より )