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第93話 明治維新と猪名川の人々

更新日:2014年5月1日
 

 幕末・維新期の猪名川町域では多田院御家人たちは新政府軍として従軍し、銀山役人も慌ただしい時を過ごしていました。秋山良之助の日記には世情不安な京・大坂などの様子が書きとめられています。
 元治2(1865)年2月には上野村に強盗が入るなど奥川辺も不穏となってきます。この頃は地震や天候不順などもあり伝染病も流行りました。慶応4(1868)年1月3日鳥羽伏見の戦いで幕府軍は敗れ、将軍慶喜に捨てられた大坂城は同8日に炎上、その炎は川辺の村々からもはっきりと眺められたといいます。
 同年2月に新政府「参与御役所」あてに書かれた北部11か村連名の嘆願書があります。「何卒『天朝直々御料』に。『御預所』なら『薩州様』の御支配を」というものです。人々の暮らしやすさを模索した様がうかがえ、徳川から天朝、高槻藩から薩摩藩と願ったところに新時代・新体制を理解する困難さが読み取れます。

《読み方》 秋山良之助=あきやまりょうのすけ(最後の銀山役人)、世情=せじょう、様子=ようす、元治=げんじ、鳥羽伏見の戦い=とばふしみのたたかい、慶喜=よしのぶ(徳川慶喜)、参与御役所=さんよおやくしょ、11か村=11かそん、何卒=なにとぞ、天朝=てんちょう(朝廷)、直々=じきじき、御料=ごりょう、御預所=おんあずかりどころ、薩州=さっしゅう(薩摩藩)、御支配=おしはい、模索=もさく、様=さま、
(写真:慶応4年2月 11か村天朝御料または薩州預所望につき嘆願書(粟野乃武文書)  )

(写真)慶応4年2月 11か村天朝御料または薩州預所望につき嘆願書(粟野乃武文書)

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