更新日:2014年5月1日
新年度を迎え、輝く瞳の一年生を見かけるようになりました。
江戸時代には町域でも寺院などで寺子屋が開かれ、子ども達が学んでいました。
宝永6(1709)年、銀山役人林九右衛門が退職し、銀山町で手習いを教え始めたのが、記録にある町域で最も早く開設された寺子屋です。
江戸時代後期には、全国的に寺子屋教育が充実します。
広根では安政3(1856)年から明治12(1879)年、僧侶村上覚量、尼僧清順尼が寺子屋を開設、安政5年から明治5年には徹道寛中がもう1か所開いて常時40人程が学んでいました。
文久2(1862)年、木津村の天沢寺では、住職の稲垣法誉が寺子屋を開き、弟子中西了随、嶺下大順が受け継ぎ明治5年廃業となりました。
常に10人程が通って、読書・書方・算術・漢詩を学び、修業年限は4年となっていました。
また、紫合では「西鏡寺塾」の名称で、慶応2(1866)年から明治7年、僧侶広沢誠稟が教えました。
《読み方》 寺子屋=てらこや、宝永=ほうえい、銀山役人=ぎんざんやくにん、林九右衛門=はやし きゅうえもん、銀山町=ぎんざんちょう、手習い=てならい、安政=あんせい、僧侶村上覚量=そうりょ むらかみ かくりょう、尼僧清順尼=にそう せいじゅんに、徹道寛中=てつどう かんちゅう、天沢寺=てんたくじ、稲垣法誉=いながき ほうよ、中西了随=なかにし りょうずい、嶺下大順=みねした たいじゅん、書方=かきかた、西鏡寺塾=さいきょうじ じゅく、広沢誠稟=ひろさわ せいりん
(写真天沢寺)