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第136話 「猪名川の女神と武庫川の女神」

 天平3(731)年7月5日の日付けが文末に書かれている『住吉大社神代記』という巻物が大阪市にある住吉大社に残されています。
 かつて地方の行政事務をつかさどる国司が着任する際には、その国の神社を巡拝すると決められていました。中でも真っ先に参拝する社格の高い神社が「一宮」といわれており、摂津の国では、その「一宮」が住吉大社となっていました。この『住吉大社神代記』は、町名の由来である“いながわ”が出てくる最も古い書物と思われます。ただし、この書によると上流部分は「木津河」「美度奴川」といい、下流を「為奈河」と呼んだとあります。“いながわ”という名の起源については、流域に住んでいた「山直阿我奈賀」という人物にちなんだという地名説話が書かれています。
 さて、この書には興味深いお話が出てきます。神は通常姿を現さないもので、現す場合も老人の姿をとる事が多いのですが、ある時、住吉大神が若い男性の姿をとって出現されたというのです。住吉大神は「宮城(神殿)」を造る用材を猪名川の上流から流していました。そのりりしい姿を見た為奈川の女神と武庫川の女神は心を奪われ、どうしても妻になりたいと思い激しく争いました。為奈川の女神は大きな石を次々と投げつけ、武庫川の女神を打ち倒し、川べりの芹を全部引き抜きました。それゆえ猪名川には芹はあっても大石がなく、武庫川には大石があっても芹が生えていない、というものです。この説話から、猪名川の水運が古くから利用されていたことがわかります。木津を集積地として上流域の良材を流し、下流に住む木工集団猪名部が加工していたと考えられます。
 なお『住吉大社神代記』の成立時期は平安初期頃とも考えられていますが、“いながわ”という河川名は、猪名部(為奈部)の名称が早くからみえていることから、奈良時代以前から存在していたといえるでしょう。

  《読み方、注釈》
天平=てんぴょう、住吉大社神代記=すみよしたいしゃじんだいき、国司=こくし、一宮=いちのみや、木津河=きづがわ、美度奴川=みとぬがわ、為奈河=いながわ、為奈川=いながわ、 山直阿我奈賀=やまのあたいあがなか、住吉大神=すみよしのおおかみ、宮城=おおみや、芹=せり、猪名部=いなべ

(写真:「まんがで見る猪名川の歴史」より)

(写真)まんがで見る猪名川の歴史

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