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第141話「木村重成書状写」

 今冬は大坂冬の陣からちょうど400年ということで「大坂の陣400年天下一祭2014冬の陣」が大阪城公園で開かれています(12月末まで)。来年は夏の陣にちなんだイベントがあるようです。
大坂冬の陣・夏の陣は遠い所のものではなく、冬の陣では多田院御家人達が徳川方として中之島の戦いに赴き、夏の陣では猪名川町域も戦場となって、上野や広根などの民家や寺院が焼失しました。また、町北部の個人宅には「木村重成書状写」といわれる古文書が残されています。木村重成とは、幼少時から豊臣秀頼の家臣として仕え、大坂の陣では勇猛果敢に戦った武将です。この書状がどの様なゆかりで町内に残されているのかは不明ですが、前書きによれば、大坂の陣後100年余が過ぎ、京都の多門院に縁あって持参された書状を写したとあります。その写しを更に写して現在まで残されたものでしょうか。
木村重成の書状とされる部分は、猪飼野左馬介宛で4月6日付、52行にわたります。内容は、大坂城内の様子を伝え、天下は家康のもの、城中は御母公(淀殿)の下知(命令)で動くが混乱があり鴫野出陣時も下知が届かなかった、一日も早い討死を覚悟し、家康の意を板倉勝重が度々伝えてくるが二心(裏切る気持ち)は無い事などです。
その最後部では、姉に香炉を届けてほしいこと、十三歳で元服した際家康から贈られた名刀を左馬介に残すこと、姉の恨み事にはうまく言い訳をしてほしいと書かれています。この1か月後5月6日に若江の戦いで戦死しました。時に24歳、180センチメートル近い長身の美青年だったと言われています。

 

読み方、注釈
木村重成=きむらしげなり、猪飼野左馬介=いかいのさまのすけ、御母公=ごぼこう、下知=げち、鴫野=しぎの、討死=うちじに、二心=ふたごころ

 

 

夏の陣の際、戦場となった上野遠景

(写真)夏の陣の際、戦場となった上野遠景

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