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現在の場所

第12話 楊津の里と行基

更新日:2014年5月1日

町中央部の木津は、奈良時代「やないづ(平仮名)=楊津(漢字)」と呼ばれ、楊津連(むらじ)をはじめとする人々が住んでいました。ネコヤナギ(楊)が多く、木材などの集積地(津)だったのかも知れません。また、当時の川辺郡楊津郷(ごう)とは、現在の町域とほぼ重なるので、木津が町域の中心地だったと考えられます。
 さて、県指定文化財の灯籠のある天沢寺は、奈良時代の高僧行基が開いた「楊津院」の後身と伝えられています。東大寺の大仏建立等につくした行基は、伊丹の昆陽寺をはじめとした四十九院を建てていますが、楊津院もその一つと『行基年譜』に書かれています。
 昆陽池や大阪の狭山池の様に、農業に役立つ池や溝を作り、人々の救済施設も各地に建てた行基は、木津にどの様な施設を作ったのでしょうか。天沢寺からふるさと館にかけては、その昔、たくさんの御堂らしき物があったと言い伝えられています。(写真:天澤寺の石造灯籠) 

(写真)天澤寺の石造灯籠

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