現在の場所

第100話 槻並の観音寺

 槻並には、現在2寺院と6堂があります。「元禄7(1694)年槻並村寺社吟味帳」には、安養寺、福昌寺(表記原文のまま。福祥寺)、観音寺と5堂が記されており、観音寺を除きほぼ現在と同数です。今はない観音寺とはどのようなお寺だったのでしょうか。
 「享保の六地蔵」の第一所でもある観音寺は、元禄7年の寺社吟味帳には“真言宗城州安楽寿院末寺”とあります。安楽寿院は京都市伏見区にあり、平安末期に鳥羽離宮に建てられた大寺院です。観音寺の当時の住職は四代の長忍、中興住持として一代堯海の名があり、開基年は不明とされていますが、文化12(1815)年頃の古文書「観音寺一件の事」には、慶長期(1596~1615年)に、安楽寿院の堯海が郷里槻並に隠居寺として新設したとあります。
  “尼崎の殿様”が帰依したとも伝わる観音寺は、明治初年に神仏分離令の影響で廃寺となったようです。

《読み方》
槻並=つくなみ、観音寺=かんのんじ、2寺院=にじいん、6堂=ろくどう、元禄=げんろく、安養寺=あんようじ、福昌寺=ふくしょうじ、槻並村=つくなみむら、寺社吟味帳=じしゃぎんみちょう(寺院や神社を詳しく調べて書き記したもの)、真言宗=しんごんしゅう、城州=じょうしゅう(山城の国=現在の京都)、安楽寿院=あんらくじゅいん、末寺=まつじ、平安末期=へいあんまっき、鳥羽離宮=とばりきゅう、大寺院=だいじいん、住職=じゅうしょく、四代=よんだい、長忍=ちょうにん、中興=ちゅうこう、住持=じゅうじ、一代=いちだい、堯海=ぎょうかい、開基年=かいきねん(寺または宗派を初めて開いた年)、古文書=こもんじょ、観音寺一件の事=かんのんじいっけんのこと、慶長期=けいちょうき、郷里=きょうり、隠居=いんきょ、帰依=きえ(神仏などを深く信じてひたすら従い頼ること)、明治初年=めいじしょねん、神仏分離令=しんぶつぶんりれい、廃寺=はいじ

(写真:槻並地域の風景)

(写真)田中田見夫邸裏山遠景

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