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第135話「水利と水車」

 早稲が多くなった猪名川町のこの時期は、田植えが終わった農家も多く、青々とした苗も少し背が高くなりはじめています。以前はたっぷりの水の中で泳ぎ回るカブトエビの姿をよく見たものです。
 稲の生育に欠かせない「水」はとても大切なものです(歴史ウォーク第98話 村と水利参照)。
 河川から取水するための用具として、足踏み式の水車があります。寛文年間に発明されたこの「踏車」は江戸時代中期に全国に普及しました。(それ以前は中世以来の「龍骨車」というものを使用していました。)また、水の力を動力として精米などに使われた「水車」もあります。
 天保15(1844)年6月付の「覚」という水車運上銀の増銀請証文の写が残っています。上野村の庄屋・年寄・百姓代と稼人の連名によるこの文書には、5年毎の水車使用許可が前年で切れ、今年以降5年間の使用に対し、税金(運上銀)が上げられることになり何度も説得されたこと、この水車(直径約3メートル)に余分なもうけはなく、今回は5厘増しの銀13匁6分5厘を納めるが、これ以上増銀になれば立ち行かない、と高槻役所宛に書かれています。この水車の利用内容は書かれていませんが、造酒に使ったものかも知れません。
 また別に、嘉永7(1854)年には、池田にある水車を槻並の人が購入しています。水車の大きさは不明ですが、瓦葺の水車小屋のほか、土蔵や建物3棟、風呂場付の便所まで付属しているので、かなり立派なものだったと推測できます。ただし、ここは村方の用水第一の場所なので「五月夏至五日前より秋土用前迄は稼相休」と決められていました。何よりも田への水引が優先されたのです。
 水車の譲主は池田村の干鰯屋六兵衛。干鰯とは、脂を絞ったイワシを乾燥させたもので、田畑の肥料として使われ収量を向上させました。
 
  《読み方、注釈》
早稲=わせ、足踏み=あしぶみ、寛文=かんぶん、踏車=ふみぐるま、龍骨車=りゅうこつしゃ、精米=せいまい、天保=てんぽう、覚=おぼえ、水車運上銀=すいしゃうんじょうぎん、増銀請証文=ましぎんうけしょうもん、写=うつし、庄屋=しょうや、年寄=としより、百姓代=ひゃくしょうだい、稼人=かせぎにん、文書=もんじょ、5年毎=ごねんごと、厘=りん、匁=もんめ、分=ぶ、造酒=ぞうしゅ、嘉永=かえい、槻並=つくなみ、瓦葺=かわらぶき、迄=まで、稼相休=かせぎあいやすみ、水引=みずひき、譲主=ゆずりぬし、干鰯屋=ほしかや 

 《写真:水車(ふるさと館展示)》

(写真)川西高校六瀬分校

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