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第90話「お蔭踊り」と町域での流行

更新日:2014年5月1日


 平安中期から明治初期まで「御師」という回国の祈祷師がおり、江戸期には農村と強く結びつき、また伊勢神宮が農耕神として信仰されて伊勢講が盛んとなりました。
 伊勢講では、御師の先導で総参りや当番の代参が行われましたが、参加できない人が家族や雇い主に無断で参詣する抜け参りがたびたびおこなわれました。
 江戸期を通じて、ほぼ61年に一度爆発的に起こった抜け参りが御蔭参りで、神徳に感謝して集団で熱狂的に踊る御蔭踊りも村々でおこなわれました。天保元(1830)年、大規模な御蔭参りがおこり、5月頃には河内から御蔭踊りが流行りだし、翌年3月には池田までおよび、5月には川辺郡で、奥川辺の六瀬では8・9月頃に踊られました。仮装や揃いの衣装で、振付師を招いたり、他村への掛け踊りなどしました。
 掛け踊りの番付がある石道村(現川西市)の古記録には「一番広根、二番猪渕、三番内馬場」とあり、地域全体での開放感が伺えます。

《読み方・注》お蔭踊り=おかげおどり、御師=おんし(伊勢参宮時の宿坊を経営し、村々を回り神楽をあげ、御札や伊勢暦を頒布したり、争いの調停などをした人々。明治政府により廃止。)熊野三山では御師=おし。回国=かいこく(日本中をまわること)、祈祷師=きとうし、農耕神=のうこうしん、伊勢講=いせこう、先導=せんどう、総参り=そうまいり(講のメンバーが全員で参詣すること)、代参=だいさん(皆に代わって参詣すること。通常はメンバーが順番で参詣した。)、抜け参り=ぬけまいり(無断で着のみ着のまま参詣すること。旅の道筋では施行を受けて参詣できたので、何も持たずに飛び出して行けた。)、施行 =せぎょう(善根・功徳のために僧や人に物を施すこと。伊勢参りの道中では、金銀・銭・米・衣服・飲食物・舟・馬・駕籠・宿泊所などの施行があった。) 、お蔭参り=おかげまいり、天保元年=てんぽうがんねん、流行り=はやり、仮装=かそう、揃い=そろい、振付師=ふりつけし、他村=たそん、掛け踊り=かけおどり(踊りの優劣を競いかけること)、番付=ばんづけ(順位付けして1番から記載したもの)、石道村=いしみちむら、古記録=こきろく、広根=ひろね、猪渕=いぶち、内馬場=うちばば、御幣=ごへい

(写真:お陰踊り御幣 ) 

(写真)お陰踊り御幣

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