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第123話「明和(めいわ)七年の杉生(すぎお)村と仁頂寺(にじょうじ)村」

 江戸時代、領主や代官が代わった時などに、村々から提出した「差出明細帳」という村勢要覧のようなものがあります。猪名川町域にも数か村分の控や写が残されています。
 明和7(1770)年6月の「杉生村差出明細帳」と閏6月の「仁頂寺村差出明細帳」はいずれも町域北部の代官が内藤十右衛門から石原清左衛門に交代した際に書かれたものです。
 まず杉生村では、村高197石8斗、村人口は58戸、男136人、女116人、牛10匹で、農業の他、男は吹屋炭を少々焼き、女は家事、農業手伝いと牛の飼料(草)採りをする生活でした。村には大工3人、木挽1人がおり、作物を荒らす猪・鹿・鳥・猿に備え10挺の鉄砲もありました。
 作物は米のほか、大麦・小麦・木綿・小豆・菜種を作り、桑・楮・漆・茶はないものの、栗や柿、栢の実が採れました。川漁・鳥猟はないとしています。寺は3か寺、氏神1宮、堂3か所の記載もあります。
 仁頂寺村は、村高94石9斗、村人口28戸、男54人、女49人、牛4匹で、日々の暮らしは杉生村と同様です。飼料の草採りは杉生村の奥山へ行き、山年貢米の一部を杉生村に払って刈り取っていました。川漁・鳥猟はなく、猪など用の鉄砲は7挺持っています。稲は冷涼な土地柄で、丹波早稲・もみじ・紅黒の早稲、中稲を作っています。
 畑には大麦・小麦・木綿・粟・菜種を植え、大豆・蕎麦は猪などに荒らされるので作っていませんでした。寺1寺、氏神1宮、地蔵堂1か所も記載されています。また年貢の運搬についての記載もあり、池田まで5里半は牛で、神崎までの3里は馬で運び、5里までは農民負担、残りは公儀から1里1石に付き4分の駄賃が払われました。神崎からは舟で京・大坂・江戸へ送られました。  

《読み方、注釈》
差出明細帳=さしだしめいさいちょう、閏=うるう、村高=むらだか、石=こく、斗=と、吹屋炭=ふきやずみ、木挽=こびき、挺=ちょう、楮=こうぞ、漆=うるし、栢の実=かやのみ、鳥猟=ちょうりょう、宮=ぐう、早稲=わせ、中稲=なかて、粟=あわ、蕎麦=そば、神崎=かんざき

(写真:杉生村差出明細帳)

(写真)杉生村差出明細帳1

(写真)杉生村差出明細帳2

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