更新日:2014年5月1日
天乳寺住職下條一弘さんの「享保の六地蔵」によると、6体の地蔵菩薩は現在1福祥寺2仁部公会堂3天沢寺4地蔵堂(対津)5天乳寺6東光寺に安置されています。
福祥寺には第一所観音寺(廃寺)が移されており、仁部公会堂は庵寺の跡と伝わっています。
6体はすべて舟形の光背を背に、蓮華座に立ち、右手に錫杖、左手に宝珠を持っています。ただ手彫りの特長として表情などが少しずつ違っています。光背には「六地蔵第○所 ○○村」「享保○○○ ○月廿四日安像供養」と刻まれていますが、第一所と第六所は村名ではなく寺名が彫られています。
「安像供養」の日は、第一所のみ享保5(1720)年3月24日、残りは享保7年8月24日(地蔵盆の日)とすべて地蔵菩薩の縁日です。
下條さんは観音寺もくわしく調査され、その跡地も特定されています。(写真:六地蔵第四所・地蔵堂)
《読み方》
享保の六地蔵=きょうほ の ろくじぞう、 天乳寺住職=てんにゅうじ じゅうしょく、下條一弘=しもじょう いっこう、福祥寺=ふくしょうじ、仁部公会堂=にんべこうかいどう、天沢寺=てんたくじ、地蔵堂=じぞうどう、対津=たいつ、東光寺=とうこうじ、第一所=だいいっしょ、観音寺=かんのんじ、廃寺=はいじ、庵寺=あんじ、舟形=ふながた、光背=こうはい、蓮華座=れんげざ、錫杖=しゃくじょう、宝珠=ほうじゅ、手彫り=てぼり、廿=にじゅう、安像供養=あんぞうくよう(仏像を安置し、開眼供養をすること)、刻まれ=きざまれ、村名=そんめい、寺名=じめい、縁日=えんにち