更新日:2014年5月1日
広根の雲覚寺は、白金とつつじが丘の間、銀山道に程近いところにある曹洞宗の寺院です。享保5(1720)年、明仙和尚が開いた庵を始めとし、安永年間(1772から1780)に素盞鳴神社の宮寺として現在地に移転、天保5(1834)年には池田の大広寺住職を開山として現在の寺院となりました。
本尊は十一面観音です。
また、少しつつじが丘寄りにある阿弥陀寺には、明治から大正時代に中央政界で活躍した下岡忠治氏が眠っています。明治3(1870)年広根村に生まれた彼は、東京帝国大学を卒業、明治20年の第1回高等文官試験をトップで合格し、内務省に入省、26歳で秋田県知事に就任、枢密院書記長や内務次官などを務め、大正13(1924)年に朝鮮総督府政務総監となり、翌14年11月に永眠しました。三峰と号した彼は、冨田一族とも親しく、伝記には冨田儀作氏の弔辞も寄せられています。(写真:広根の雲覚寺)
《読み方》
雲覚寺=うんかくじ、下岡忠治=しもおか ちゅうじ、銀山道=ぎんざんみち、明仙和尚=めいせん おしょう、素盞鳴神社=すさのおじんじゃ、宮寺=ぐうじ、天保=てんぽう、大広寺=だいこうじ、伽藍=がらん、枢密院=すうみついん、三峰=さんぽう、号した=ごうした、冨田一族=とみたいちぞく、冨田儀作=とみたぎさく