更新日:2014年5月1日
新暦1615年6月4日(慶長20年5月8日=7月に元和と改元)桃山文化の粋を誇った大坂城が紅蓮の炎に包まれました。豊臣氏が滅亡した「大坂夏の陣」の終焉です。
この戦いに際しては猪名川町域も戦場となり、上野や広根などが灰燼となりました。
天正期の塩川・能勢両氏の戦いによって無禄となった多田院御家人は復禄をめざして大坂の陣では徳川方に付き、猪名川町域周辺ほか諸国に分散していた300人余りが前年の「冬の陣」に参戦したといわれます(中之島の戦い)。
「夏の陣」では、多田銀銅山をめぐる攻防であったのでしょうか、広根の寺院に残る安政4(1857)年の「再建奉加帳」には「元和元乙卯夏、当所戦場となり、村里の民屋と諸共、堂塔迄、只一塵の烟となりける」と書かれています。
どちらの戦いでも御家人達は勝利を得ず復禄はかないませんでした。 (写真:つつじが丘地区から広根地区方面を望む )