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現在の場所

第42話 猪渕今昔

(写真)八阪神社

猪渕地区中央やや西に、八阪神社があります。創建年は不明ですが、鳥居再建時の棟札に瀧渕寺(神宮寺)の僧の名と、永正12年(1515)年とあり、古くから氏神として崇敬されてきたことがわかります。境内には西日本に多い愛宕神社、東日本に多い秋葉神社の二社の防火の神社をはじめ、七社が合祀されています。
猪渕には検地帳や村明細帳が残っておらず、村の様子が分かりにくいですが、中世には多田院の寺領として、足利義政や足利義昭が安堵(あんど=保証・承認)しています。
当時多田院領には殺生禁断の令が度々出されており、応安3(1370)年には室町幕府重鎮で、婆沙羅大名といわれた佐々木道誉によって猪渕山原両村に令が出されています。また、江戸時代大流行したお蔭踊りの史料が残っていて、天保2(1831)年、揃いの浴衣などで、他村にまで踊りに行ったことがわかります。近代の栗生産量は北摂有数でした。(写真:八阪神社)

《読み方》
猪渕今昔=いぶち こんじゃく、棟札=むねふだ、瀧渕寺=りゅうえんじ、神宮寺=じんぐうじ(神社を守護するため近接して建てられた寺のこと)、永正=えいしょう、崇敬=すうけい、愛宕神社=あたごじんじゃ、秋葉神社=あきばじんじゃ、二社=にしゃ、七社=ななしゃ、合祀=ごうし、検地帳=けんちちょう(今の土地台帳)、村明細帳=むらめいさいちょう(今の町政要覧を詳しくしたようなもの)、寺領=じりょう、足利義政=あしかがよしまさ、足利義昭=あしかがよしあき、殺生禁断の令=せっしょうきんだんのれい、応安=おうあん、婆沙羅=ばさら(派手な格好をして奔放にふるまうこと。室町時代に流行った。婆沙羅大名も何人かいた)、佐々木道誉=ささきどうよ(佐々木高氏の法名。京極高氏ともいう)、猪渕・山原両村=いぶちやまはらりょうそん、お蔭踊り=おかげおどり、史料=しりょう(歴史的資料のこと)、天保=てんぽう

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