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第39話 多田銀銅山

更新日:2014年5月1日


昭和48年6月、千数百年の歴史を誇る多田銀銅山の灯が消えました。
東大寺大仏造立の献銅伝承をはじめとして、多田源氏の財源となり、豊臣秀吉の台所を支え、江戸時代には寛文4(1664)年を繁栄の頂点として屏風絵にも数多く描かれた多田銀銅山でした。
近代になり、採掘者の変遷と休山を経ながらも、昭和29(1954)年には日本鉱業が調査、同38年に深度120メートル、同40年に180メートルの坑道が完成。「日本鉱業多田鉱業所」として、同42年以降は月産粗鉱千トンの産出量と、1トンあたり銀400グラム・銅26キログラムの高純度を誇りました。
しかし、近代においては鉱害や輸送費・人件費が課題となって、ついに閉山となりました。
多田銀銅山へは、天正16(1588)年に冷泉為満が見物に、安永元(1772)年には平賀源内が排水技術指導に来ており、明治の実業家五代友厚も訪れたといわれています。(写真:代官所の門)

《読み方》
多田銀銅山の灯=ただぎんどうざんのひ 、献銅伝承=けんどうでんしょう、寛文=かんぶん、屏風絵=びょうぶえ、休山=きゅうざん、日本鉱業=にほんこうぎょう、深度=しんど、月産粗鉱=げっさんそこう、冷泉為満=れいぜいためみつ、安永=あんえい、平賀源内=ひらが げんない、五代友厚=ごだいともあつ

(写真)代官所の門

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