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第22話 多田隊出陣と御家人屋敷

更新日:2014年5月1日


慶応4(1868)年1月6日、多田院(現多田神社)に、前年12月成立の新政府から多田院御家人達を招集する「達(たっし)」が届きました。
多田院御家人とは、平安時代に多田庄を開いた源満仲の家臣の子孫達で、多田院奉仕のため、鎌倉幕府の御家人として承認され、後に村々の指導者層になっていった人々です。
御家人達は京で多田隊となり、うち20人は東山道鎮撫軍(とうさんどうちんぶぐん)に旗本として参加、戦闘のほか赤報隊の捕縛などを命じられます。隊士の新井三郎は相楽総三や近藤勇の処刑も行いました。また、仁和寺宮付属の隊士は会津征討軍として北越戦争に向かい、同年9月、明治改元の直後に庄内藩との戦いで能勢出身の人が戦死しています。
明治2年7月多田隊は廃止。恩賞少々と士族身分を与えられたのみながら、新時代建設に尽くした誇りは大きなものでした。
槻並、阿古谷などに当時をしのばせる御家人屋敷が残されています。(写真:多田御家人屋敷) 

(写真)多田御家人屋敷

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